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2004年 08月 20日

日の出食堂@杉並区本天沼

昔TBSのガチンコ!という番組の一企画で、ラーメン道というのがあった。それに出場していた井上洋介氏のお店である。以前は深夜2時まで営業していて、行きやすかったのでよく訪れていた一店であった。最近ではこちらに用がなく、久しぶりの来店だったので期待に胸を膨らませた。
しかし店構えを見て俄然とした。以前はショットバーを思わせるほどに黒を基調にした大人なラーメン屋で、店内もブラックライトで大人しく照らされ、メニューもホワイトボードならぬブラックボードに蛍光ペンで書かれたものであったのに対し、現在はドアを開けるとプレハブ小屋のように簡素な造りの店内で、普通にライトアップされ、メニューも普通にカウンターに置かれていた。最初は店が変わったのかなと思いきや、井上氏がいたのですぐにこの店だと気づいた。

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今回注文したのは、つけ麺大盛り(¥900)と写っていないが日の出食堂に来た際には必ず注文している、とろ肉ごはん(¥200)。つけ麺は以前は確かなかった一品だったので頼んでみた。
つけダレは、ここのラーメンと一緒で、あっさりとしたトンコツベース。麺も少し平べったい太麺で食べ応えがある重量感である。普通ライトなトンコツだと水っぽいだけで終わってしまう店が多い中、ここはあっさりの中に味の繊細さが表れて素材を最上級まで引っ張っているもので、井上氏がラーメンに懸ける情熱は並大抵ではないことが分かる。ただ、提供直前まで別鍋で熱しているので、多少ラーメンよりは香りが飛んでしまっているし、また麺を入れた時の麺の美味さも相殺されてしまっているのがもったいないと思った。とろ肉ごはんは以前通りゴロゴロとしたチャーシューの塊が3,4個ご飯に乗っていて、コストパフォーマンスは最高である。記憶違いかもしれないが今回は微量な香草風味が感じ取られた。しかし30分前に1杯食しているので、食欲増進には最適であった。

以前のように深夜まででなく、1日150杯限定で営業しているので閉店時間が定まってなく、また場所柄あまり用がなく最寄り駅からも1.5kmくらいある訪れにくい店ではあるが、隣客が食べているラーメンを見て、また来ようと心に決め、店を出た。
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# by junyasilas | 2004-08-20 00:45 | 麺's
2004年 08月 20日

麺処福吉@新高円寺

買い物しに高円寺に来たので、帰りは麺処福吉に寄ってみた。この店は新所沢にある「福吉」の暖簾分けの店。ラーメン用語での暖簾分けとは、修行者が自分の店を出す際に、修行先の店の名前を頂くことである。かの有名な大勝軒@北池袋の暖簾分けの店とか多いですよね。

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woodyな内装で、女性が好みそうな優しい色使いの店内。最近こういうお店が増えてきているが、私は賛成で、雰囲気も美味しいラーメンの判断材料に必要だと考えている。
注文したのは、特製磯玉らーめん+ごはんのセット(¥790)。底の浅いどんぶりだったので多少スープが少ない感もあるが、舌触りはさらさらなのに魚介の濃縮したこってりスープが麺に絡み合ったまま口に運ばれ、更に湯気と共に上がってくる香りが追随し、味覚と嗅覚に訴えてくる。

最近食べた中では、上位にランクインされた完成度高いラーメンだった。
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# by junyasilas | 2004-08-20 00:44 | 麺's
2004年 08月 17日

誇りを胸に、集う漢達

2003年2月22日、地元の何人かの結束により、FC不協和音を立ち上げた。今までは観戦専門だったが、何人かは経験者がいたし、遊び程度ではボールを蹴っていた事があっての決心だった。それから脱退・加入を繰り返し、最近はメンバーが定着してきている。
練習は最低週1回、試合は最低月1回のペースでこなしてきている。とは言っても、基礎的な練習などは一切なく、紅白戦だけの実践練習。こんなんでは上達もあまりない。しかし学生・社会人など入り混じったチームだけになかなか時間が合わず、練習にはみんなの顔合わせの名目も含まれているので、これでいいのか…なぁ!?

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                      裏学生サマーカップ@多摩スポーツスタジオ
試合後に撮影。撮影後コートで練習してる地元の人達がいたので試合を申し込み、足腰に利ていたにも関わらず1時間ほど球を蹴っていた


今月17日、多摩での大会に参加した(チームメイトの一人が就活で知り合った女の子が、この大会の開催関係者だったことで参加が決定した)。10チーム中5位という、中途半端な順位で終えた。まぁ今回は2時間もかけて遠征した大会は初めてで、アウェーの大会だったため、厳しさを知る上では上々な滑り出しだと思っている。

大会などで出会ったら声を掛けて下さいねっ!!
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# by junyasilas | 2004-08-17 22:01 | Diary
2004年 08月 13日

空洞の日々が終わる

何か大きな目標を掲げて毎日を生きているというわけではない。だからといってダラダラと意味のない生活なんてしたくはない。こんな風に考えるが実行しないできた。ここにズレが生じる。思考と行動が一致しない。なぜだろう。ふと浮かんでは答えも出ずに消えていく疑問。

私を悩ます難題。空洞の日々が続く。

最初は少しでも楽になろうと答えを探していた。全体でなくても良かった。ただ答えの片鱗さえ理解できれば少しは鎮まるだろうと考えた。しかし、いくら片鱗を暴いても、毎日を送るたびに膨らんでいく疑問には追いつけなかった。

更に私を悩ます問題。空洞の日々が広がる。

同じ疑問に悩み続けるが、自分の納得いく答えが見つからない状態が長引いた。ついには自分が分からなくなる始末で、辿り着いたのは、果たして私は何処に立っているのだろうかという疑問だった。つまり、自分のこの生活の中での存在証明、アイデンティティを明確にすることだった。特にこの時期には西田幾多郎氏の著書を読み耽っていた。
自分を理解してくると難題なんてどうでもよくなった。どうでもよいというか、難題に対する直接的な解答は未だに分からないのだが、自分が一番面白い、これこそ一番必要な考えではないかと思い信じた。それからは存在意義を証明するために、何かをやる自分だと定義づける様にしてきた。例えば、勉強する自分、友達の中にいる自分、買い物をする自分、ロックを聴く自分、サッカーをする自分。こうすると自分の定義が決まっていき、役割も自ずと分かってくる。極度のネガティヴからポジティヴになるのも考えものかも知れないが、あってもいいではないだろうか。

自己を証明することで、空洞の日々が少しずつ埋まっていく。

そして更に定義づける。それは、このブログを綴る自分。ここでまたひとつ存在を証明するカテゴリーが生まれ、自分を成長させる。いや、周囲の人達が助長してくれているのかもしれない。確実なのは、これらを通して空洞が更に埋まっていく。
存在活動はこれからだ。色々な山場を迎えるだろう。それを乗り越えることによって私の成長は持続する。

空洞が埋まる日も近い。
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# by junyasilas | 2004-08-13 03:15 | Diary
2004年 08月 10日

或阿呆の一生に魅せられた或阿呆

以下の画は芥川龍之介の墓である。大量にベロナ―ルとジアールを摂取し、致死量に至ったため、惜しくも35歳で人生の幕を閉じた若き才能者である。

そう、あれは私が中学生の頃のこの暑い時期の出来事であった。読書感想文の課題に取り掛かっている時の事である。学校側からは指定図書に認定されている本の感想文を求められた。その他に、担任が国語の先生だったために、何でも良いからもう一冊読んで、その本の感想を課された事があった。
友達は、何でもいいなら昨日読んだ漫画にしようと豪く楽観的であったが、私の性格上、嫌な意味での几帳面さが現れて、もっと難い本を読まなくてはと、今思うとどうでも良かった事かもしれないが、一日中図書館内をグルグル回っていた事がある。

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墓碑は慈眼寺にあり、生垣に囲まれた中に50センチ四方の小松石には画家小穴隆一筆で「芥川龍之介墓」と陽刻され、墓石の頂きには芥川家の桐の家紋が浮き彫りされている。


しかし館内を回ったはものの、何の情報もなければ選び出す基準も決めていなかったので(というのか、自ら本を手に取り、読み始めるという作業には慣れていなかった…つまり図書館には年に4,5回行けば良いほうであるほどの本嫌いであった…)、どの本を読んでみればいいかなど到底選べる理由もなく、途方にくれて帰宅を余儀なくされた時に、一人の図書館員が私に声を掛けてくれ、一冊の本を紹介してくれた。

それが私と芥川との出会いであった。

ひとまずは多分幼心の私としては、彼の名前に興味を示したのであろう。そのように記憶している。今でも思うが、なんてかっこいい名前なんだぁ、と…。
もちろんもうひとつの課題には、芥川の「鼻」を題材にした感想文を提出し、付け加えであるが、良い評価を得た事も記憶している。
それ以降、文章不精であった私も、芥川作品だけは読みふけるという快挙に出た。すべて読んだわけではないが、世間一般的にマイナーな作品にも手を出した。

彼の作品を知っている人は大勢いるであろう。また彼の功績は、芥川賞として現在も生き続けている。最近では、金原ひとみ「蛇にピアス」、綿矢りさ「蹴りたい背中」が、マスコミを騒がせた事で印象深いだろう。もちろん時間があれば受賞作品を手に取り読んでいるが、芥川を読んでいる時の内心の緊迫感がないし、芥川作品のように本当に伝えたい言葉でしか表現しない核心に迫る文章であってほしい、贅肉をそぎ落とした芯のある文章であってほしいというのが感想である。(とは言ったものの、両作品の読書中は以外に熱中した…)

やはり私の中で、芥川の存在がどれだけ偉大であるかを実感する…。
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# by junyasilas | 2004-08-10 05:59 | Diary